和歌山ゾーン「映像」 -02:PAST「過去」-
「過去」 和歌山創造、火山、自然、曼荼羅・縁起絵巻
この章では、和歌山の自然や歴史をひもとき、火山やジオから始まり、過去の歴史(曼荼羅・縁起絵巻など)をめぐります。
かつて、人々は、絵によって開示された霊験を通じて、その神秘の物語の世界へと誘われ、神仏への信仰の思いを強めました。紀伊国(和歌山県)には、全国に名の通った多くの霊場があり、古来、多くの縁起が作られ、語られて、そして絵画化されてきました。
(出典:和歌山県立博物館「きのくに縁起絵巻の世界」)
Ⅰ | 曼荼羅・熊野権現縁起絵巻 |
Ⅱ | 熊野信仰のはじまり ~寛容の精神~ |
Ⅲ | 和歌の浦 ~万葉歌に詠われた「和歌の聖地」~ |
Ⅳ | 道成寺縁起 ~安珍と清姫の物語~ |
Ⅴ | 南方マンダラ・南方十二支考 ~知の巨人~ |
Ⅰ 曼荼羅・熊野権現縁起絵巻
熊野の参詣曼荼羅は、聖地熊野の景観と物語をふんだんに描き込んだもので、熊野の世界観が表された宗教画である。各地へ繰り出した熊野比丘尼等によって、熊野那智参詣曼荼羅・熊野観心十界曼荼羅の絵解きがなされ、全国各地から聖地熊野への参詣を誘いました。
また、縁起とは寺社が建てられた由緒や神仏の霊験などを書きあらわした聖なる書物で、神や仏にまつわる秘密の物語が収められる神秘の道具でした。そうした縁起の本文とともに、その内容を絵にあらわし、巻物として仕立てたものが縁起絵巻です。
(出典:和歌山県立博物館「聖地巡礼~熊野と高野~」「きのくに縁起絵巻の世界」)
- 那智参詣曼荼羅
- 本宮参詣曼荼羅
- 新宮参詣曼荼羅
- 熊野観心十界曼荼羅
- 熊野本宮八葉曼荼羅
- 花窟屋祭礼図
- 熊野権現縁起絵巻①
- 熊野権現縁起絵巻②
- 熊野権現縁起絵巻③
Ⅱ 熊野信仰のはじまり - 寛容の精神 -
熊野では、自然と密接に結びつく場所に神々が祀られていました。雄大な風景に人々は古くから聖なるものの存在を感じていたことでしょう。
平安時代後期の11世紀頃になると、本宮・新宮・那智山は熊野三山としてのまとまりをもつようになり、それぞれに熊野十二所権現が祀られ、信仰されるようになりました。熊野十二所権現の神々には、それぞれに本地仏が当てられ、本宮は阿弥陀如来、新宮は薬師如来、そして那智は千手観音の浄土とみなされました。
人々は神と仏を表裏一体のものとして捉え、信仰してきたのです。そして、熊野の神と仏は、曼荼羅や彫刻など、様々なかたちで表現されました。
(出典:和歌山県立博物館「聖地巡礼~熊野と高野~」)
- 本宮本社末社図
- 新宮本社末社図
- 那智三瀑図
- 熊野本宮大社
- ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されている熊野本宮神社。神秘的な力を感じることのできる熊野三山の一つで、かつて…
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- 熊野速玉大社
- 鮮やかな朱塗りの社殿とともに、深い信仰を集める霊場として知られる熊野速玉大社。熊野三山のひとつで、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の…
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- 熊野那智大社
- 全国4000社の熊野神社の総本社で、熊野速玉大社・熊野本宮大社とともに熊野三山と呼ばれています。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と…
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- 大斎原
- 明治22年(1889年)の大洪水まで熊野本宮大社のあった旧社地。神が舞い降りたという大斎原は、近年ではパワースポットとして人気をあつめ…
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- 神倉神社
- 権現山(神倉山)の中腹に鎮座する歴史ある神社。熊野の神々が最初に降臨した聖地とされ、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成…
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- 那智山青岸渡寺
- ⽇本最古の巡礼路である西国三十三所観音霊場の第一番札所として知られる那智山青岸渡寺は、熊野那智大社とともに神仏習合の霊場として栄…
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Ⅲ 和歌の浦 - 万葉歌に詠われた「和歌の聖地」 -
万葉の歌聖・山部赤人に、「わかの浦に 潮満ちくれば 潟をなみ 芦辺をさして 鶴鳴きわたる」と詠われた和歌の聖地、和歌の浦
自然と文化が調和した和歌の浦の絶景は、日本人の精神文化の源ともいえる和歌に始まり、いつの時代も人々を魅了し、様々な芸術を育んできました。干潟の東、名草山の中腹には、西国三十三所巡礼の第二番札所・紀三井寺があります。
また、江戸時代に入り、将軍家に次ぐ高い家格を与えられた徳川御三家のひとつである紀州徳川家が紀州藩主となり、和歌の浦の絶景は、歴代藩主をも魅了しました。
(出典:日本遺産「絶景の宝庫 和歌の浦」)
参考:日本遺産「1300年つづく日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼~」
Ⅳ 道成寺縁起 - 安珍と清姫の物語 -
- 道成寺縁起①
- 田辺市中辺路町真砂での出会いの場面
- 道成寺縁起②
- 裏切られ、追いかけるうちに姿が変わる清姫
- 道成寺縁起③
- 日高川を大蛇となって渡る清姫
- 道成寺縁起④
- 釣鐘に隠され、大蛇になった清姫に焼き殺される安珍
- 道成寺絵とき説法/道成寺
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- 福巌寺(通称:一願寺) 清姫の菩提寺
- 一願寺
Ⅴ 南方マンダラ・南方十二支考 - 知の巨人 -
南方熊楠は、和歌山県が生んだ博物学の巨星(1867年4月15日~1941年12月29日)
研究の対象は、粘菌をはじめとした生物学のほか人文科学等多方面にわたり、民俗学の分野では柳田国男と並ぶ重要な役割を果たしました。生涯、在野の学者に徹し、地域の自然保護にも力を注いだエコロジストの先駆けとしても注目されています。
(出典:南方熊楠記念館ウェブサイト)
- 菩薩半跏像
- 霊山として知られる那智山で、経典類を埋納する経塚から出土した金銅仏です。片脚を組み、思案する姿の半跏思惟像は、日本では仏滅から56億7千万年後に現れる弥勒菩薩として信仰されることが多く、飛鳥時代を中心に数多くつくられました。後世、弥勒の出現に備えて埋納されたものと考えられます。
(出典:国立文化財機構収蔵品検索システム) - 国立文化財機構収蔵品検索システム
- 南方マンダラ
- 南方マンダラと呼ばれる図は、主に二つあり、いずれも後に高野山真言宗管長となる土宜法龍に宛てた書簡の中に描かれている図である。一つは、1903年7月18日付書簡の中に描かれており、真言密教のマンダラの思想をヒントにして、それを自身の思想に読みかえて絵図を交えて説明したものである。
(出典:南方熊楠顕彰館ホームページ) - 南方マンダラ
- 南方十二支考 腹稿
- 日本民俗学の創成期に、熊楠は重要な業績を残した。熊楠の民俗学の特徴は、和漢洋の学識を駆使し世界的な民族の比較研究をおこなったことと、民俗の「性文化」にも目を向けたことである。民俗学の父と言われた柳田国男とは多数の書簡を交わし、後年、柳田は「日本人の可能性の極限」と熊楠を評価している。
(出典:南方熊楠記念館ホームページ) - 南方熊楠と柳田国男
- 国立博物館所蔵品統合検索システム
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- 南方熊楠顕彰館・南方熊楠邸
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- 南方熊楠記念館
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