熊野古道紀伊路 ロングトレイルの歩き方 3日目 海南駅~紀伊宮原駅(総歩行距離:13.6km)
熊野の入口とされた「熊野一の鳥居跡」を通り、熊野九十九王子の中でも特に格式が高く別格とされた藤代王子(現在の藤白神社)へ。往時の賑わいに思いを馳せ、境内を過ぎるといよいよ熊野古道紀伊路の風情を色濃く残す藤白坂です。坂の頂上にたたずむ「地蔵峰寺」の美しい地蔵菩薩を拝み、「熊野路第一の美景なり」と「紀伊国名所図会」にも記された御所の芝からの絶景を堪能しましょう。その後は、一面みかん畑の斜面を縫うように橘本集落まで下り、急坂が続く拝ノ峠へ。息を切らし峠を登りきると右手に下津の街並み 、そして蕪坂塔下(かぶらざかとうげ)王子を抜けると眼下に有田川と、斜面に張り付くような有田みかんの段々畑が見えてきます。そこから1時間ほど歩くと本日のゴールの紀伊宮原駅に到着です。
※脚力に自信のある方は宮原から7.5km先の湯浅まで足をのばすのも良いでしょう。
- 春
- 夏
- 秋
- 冬
- 所要時間
- 1日
- 移動手段
- 徒歩
海南駅(かいなんえき)
祓戸王子(はらえどおうじ)
熊野本宮大社のそばに「祓戸王子(はらいどおうじ)」がありますが、この場所は熊野への入口として垢離を行い、心と体を清める場所でした。明治末期に藤白神社に合祀され、現在は石碑が建っています。祓戸王子のそばには熊野一の鳥居跡を記す石碑があり、そこからの登り道があったといわれています。昭和33年(1958年)に史跡として和歌山県指定文化財となっています。
鈴木屋敷(すずきやしき)
藤白神社内にある鈴木姓のルーツの地。熊野旧三家の一つ、鈴木一族が平安末期に熊野から移り住み、この地を拠点に熊野信仰を全国に広めました。また、上皇や法皇が参詣で訪れた際に出迎え、熊野三山まで案内役を務めたともいわれます。敷地は藤代王子跡として国の史跡に指定され、曲水泉(こくすいせん)は現存する貴重な庭園として必見です。
藤白神社・藤白王子(ふじしろじんじゃ・ふじしろおうじ)
万葉の時代、斎明天皇が白浜温泉に行幸の際、創建したと伝えられます。藤白王子は熊野九十九王子の中でも特に格式の高い五体王子の一つで、藤白神社として現存。歴代上皇たちが宿泊した参詣道途中の要所で、境内には南方熊楠ゆかりの樹齢約千年のクスノキがそびえ立ち、権現堂には熊野三所権現本地仏坐像が安置されています。なお、平成27年(2015年)には境内が「藤白王子跡」として、国指定史跡となりました。
※熊野古道紀伊路押印帳のスタンプポイント
藤白坂(ふじしろざか)
紀伊路第一の難所と呼ばれる藤白坂。坂道の途中には、政争に巻き込まれてこの地で処刑された有間皇子(ありまのみこ)の墓や歌碑、平安時代の宮廷絵師・巨勢金岡(こせのかなおか)を熊野権現が戒めたとの逸話が残る筆捨松(ふですてまつ)、紀州徳川家初代藩主・頼宣公の命で彫られた硯石などの史跡を見ることができます。平成27年(2015年)には、国指定史跡となっています。
地蔵峰寺・藤代塔下王子(じぞうぶじ・ふじしろとうげおうじ)
藤白坂を登りきった標高290mの高所に佇み、ご本尊は地蔵菩薩。台座や光背を含めると3mを超える大きな石仏で、峠の地蔵さんと呼ばれ、参詣者の無事を見守ります。鎌倉時代末期の1323年に制作され、本堂とともに国の重要文化財に指定されています。また、境内には藤代塔下王子があり、本堂の隣に祠(ほこら)が残されています。平成27年(2015年)には「藤代塔下王子跡」として、国指定史跡になりました。
※熊野古道紀伊路押印帳のスタンプポイント
御所の芝(ごしょのしば)
地蔵峰寺の裏手にある絶景スポット。白河上皇の熊野御幸の行宮跡といわれ、『紀伊国名所図会』に「熊野路第一の美景なり」と記されています。眼下に広がる海南の町並みや臨海工業地帯、日本遺産に認定されている和歌の浦の眺望が楽しめ、天気のいい日は淡路島や四国まで見渡せることも。もう一つの難所、拝ノ峠を歩く前にここでしばしの休息を。
橘本王子(きつもとおうじ)
藤白峠を越えて橘本の集落に入ると阿弥陀寺があります。この境内が往時の「橘本王子社」の跡地ですが、今は寺の古い棟札にその名残を留めている以外、昔をしのぶべき物は何一つ残されていません。『紀伊国名所図絵』によれば、後白河法皇が熊野詣の御幸のとき、ここに泊まられて「橘の本に一夜の旅寝して入佐の山の月を見るかな」の歌を詠まれたと伝えられています。
橘本神社・所坂王子(きつもとじんじゃ・ところざかおうじ)
所坂王子と同じ敷地に建ち、みかんと菓子の祖神・田道間守(たぢまもり)と熊野坐大神を祀ります。田道間守が日本に初めて伝えたみかんの原種は、旧社地の六本樹の丘に植えられ、その後、境内にも移植。毎年4月にお菓子祭り、10月にみかん祭りが執り行われ、全国の菓子業者が参拝して業界の発展を祈願します。
※熊野古道紀伊路押印帳のスタンプポイント
山路王子神社・一壺王子(やまじおうじじんじゃ・いちつぼおうじ)
現在は市坪集落と沓掛(くつかけ)集落の氏神を祀り、立派な社殿が建てられています。古くは「一坪王子」とも「沓掛王子」ともいわれていましたが、境内は「一壺王子跡」として、平成27年(2015年)に国指定史跡となりました。『紀伊続風土記』には安養寺というお寺が同じ境内にあったと記され、鐘楼はその名残です。10月10日の秋の大祭には泣き相撲が催され、子供の健やかな成長を願うもので、和歌山県指定無形文化財となっています。
拝ノ峠(はいのとうげ)
海南市内最後の王子、一壺王子を過ぎると、道の勾配がきつくなり、沓掛の登り口から峠の頂上まで急坂が続きます。たどり着いた頂上には、かつてこの付近で詠まれた歌が書かれた万葉歌碑が。山あいから見える下津の海の美景で英気を養ったら、蕪坂塔下王子へ向かって下っていきます。
蕪坂塔下王子(かぶらざかとうげおうじ)
江戸時代の『紀伊国名所図会』に猟師が鏑矢(かぶらや)を持って鹿を獲り押さえた坂と記されており、蕪坂の由来とされています。明治41年(1908年)に宮原神社に合祀されましたが、平成元年(1989年)に地元の愛郷会によって社が再建されました。
爪書地蔵(つめかきじぞう)
蕪坂塔下王子や、大坂夏の陣の伝説を残す小社・太刀の宮を過ぎると、急カーブ近くに小堂が見えます。中には4m余りの大岩に線彫された阿弥陀仏と地蔵菩薩が祀られています。室町時代の作と思われますが、弘法大師が熊野参詣の途中で、爪で岩に描いたとの説話が残り、旅人の疫病を癒やすと伝えられています。
山口王子(やまぐちおうじ)
鎌倉時代の藤原定家や藤原頼資(よりすけ)が訪れ、定家は「山口王子」、頼資は「宮原王子」と呼んだと伝わります。明治41年(1908年)に宮原神社に合祀されましたが、平成3年(1991年)に現在地よりも北の畑に地元の愛郷会により社が再建され、その後、現在地に移されました。
※熊野古道紀伊路押印帳のスタンプポイント
紀伊宮原駅(きいみやはらえき)
本日のゴールです。なお、脚力に自信のある方は紀伊宮原駅から7.5km先の湯浅駅まで足をのばすのも良いでしょう。
特産品紹介: 有田みかん(ありだみかん)
有田市は紀州みかん発祥の地。約450年前に農民の伊藤孫右衛門が熊本県から持ち返った原木を、現在の糸我地区に植えたのが栽培の始まりといわれます。山の傾斜地にある石垣階段型の畑で、陽光をたっぷり浴びて育った有田みかんは、味も品質もトップレベル。古道歩きのお供にリュックに入れて、喉の渇きを潤してはいかが。
特産品紹介: 太刀魚(たちうお)
漁獲量全国トップクラスを誇る有田市の太刀魚。太刀魚漁専門の小型底引き網漁法が古くから行われ、紀伊水道の沖合で漁獲し、箕島漁港で水揚げ。鮮度の高いまま、食卓に上がります。あっさりとしながら脂の乗りもよく、刺し身や塩焼きが美味。身を酢でしめた寿司や、骨ごとすり身にした揚げかまぼこ「ほねく」が郷土の味です。