熊野古道紀伊路 ロングトレイルの歩き方 4日目 紀伊宮原駅~湯浅駅(総歩行距離:7.5km)
8日間の中では一番短いルートですが、見所の多い一日になります。宮原集落を抜けると目の前には有田川が現れ、渡し跡の横に架かる宮原橋を渡ると中将姫ゆかりの得生寺へ。すぐそばの「日本最古のお稲荷さん」といわれる糸我稲荷神社に詣でた後は、隣接するくまの古道歴史民俗資料館で熊野古道の歴史について学びます。糸我王子を抜けると360度見渡す限りの柑橘畑の中を糸我峠へ向けて上ります。峠で絶景を拝み、坂を下り逆川王子を過ぎると醤油醸造発祥の地である湯浅の古い町並みが現れます。熊野古道から外れて、往時のにぎわいを感じ、町の中を散策するのも良いでしょう。
- 春
- 夏
- 秋
- 冬
- 所要時間
- 1日
- 移動手段
- 徒歩
紀伊宮原駅(きいみやはらえき)
得生寺(とくしょうじ)
藤原豊成の娘、中将姫(ちゅうじょうひめ)ゆかりの寺。姫の殺害を命じられた家臣・伊藤春時は、姫の徳に心を打たれて草庵にかくまい、自身の名を得生と改めたのが寺の由来と伝えられます。5月14日の練供養「来迎会式(らいごうえしき)」は、二十五菩薩が姫を極楽浄土へ導く様子を表し、和歌山県指定無形民俗文化財となっています。
糸我稲荷神社(いとがいなりじんじゃ)
文化七年(1810年)当時の神官が残した社伝、「糸鹿社由緒」によると、創建は白雉三年(652年)。京都にある伏見稲荷神社の創建より60年もさかのぼることから、日本最古の稲荷神社といわれ、社前鳥居には「本朝最初稲荷神社」の額が上がっています。隣接するくまの古道歴史民俗資料館には「熊野御幸記」を絵巻風にしたレプリカを展示。
※熊野古道紀伊路押印帳のスタンプポイント(隣接する「くまの古道歴史民俗資料館」に設置)
糸我王子(いとがおうじ)
かつては「いとカ王子」とも「上王子」とも呼ばれていましたが、明治40年(1907年)に糸我稲荷神社に合祀されました。糸我峠登り口に王子跡の石碑が建てられていますが、平成7年(1995年)に現在地に再祀されました。
糸我峠(いとがとうげ)
糸我王子を通り過ぎ、万葉の歌枕「絲鹿の峠」を目指します。『熊野御幸記』にある「険阻(けんそ)を凌ぎてイトか山を昇る」のごとく、七曲がりと呼ばれる急な坂を登り詰めると、有田市の町並みや湯浅湾を一望できる絶景が待ち構えます。江戸時代にはここに二軒の峠の茶屋があり、参詣者たちに名産のみかんを振る舞ったそう。平成27年(2015年)には国指定史跡となっています。
逆川神社・逆川王子(さかがわじんじゃ・さかがわおうじ)
名の由来は近くを流れる川が西の海の方向へ流れず、東へ流れていることから、逆川と呼ばれ、藤原定家は「水が逆流しているので、この名がある」と逆川王子に立ち寄った際に、日記に記しています。明治44年(1911年)に國津神社に合祀されましたが、昭和12年(1937年)に氏子により社殿が再建され、永禄八年(1585年)銘の地蔵菩薩が所在しています。また、令和4年(2022年)には、「逆川王子跡」として国指定史跡となっています。
※熊野古道紀伊路押印帳のスタンプポイント
立石道標(たていしどうひょう)
湯浅の熊野古道沿いに立つ大きな石の道標は、天保9年(1838年)に建てられたもの。高さ2.35mの石の側面には、東西南北の方角と共に、「きみゐでら(紀三井寺)」「すぐ熊野道」「いせかうや(伊勢高野)」という地名が刻まれています。
※熊野古道紀伊路押印帳のスタンプポイント(「立石茶屋」に設置)
湯浅駅(ゆあさえき)
本日のゴールです。周辺には、平成18年(2006年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された、江戸期の面影を残す湯浅の古い町並みがあります。湯浅は約700年の歴史を持つしょう油醸造発祥の地であり、北町、鍛治町、中町、濱町を中心とした伝建地区には、町家や土蔵など風情ある伝統的な建物が立ち並びます。今も醸造を続ける老舗蔵に立ち寄って、湯浅土産を物色してみてはいかがでしょうか。
特産品紹介: 醤油(しょうゆ)
鎌倉時代の湯浅町に僧の覚心が金山寺味噌を伝え、その製造過程で生まれた上澄みがしょう油の起源。江戸時代には紀州徳川藩の保護の下、町に100軒近くのしょう油蔵が並んでいました。今も残る数軒の醸造業者が昔ながらの手作業でじっくり仕込み、伝統の味を守り続けます。蔵見学を行ったり、カフェを併設したりしているところも。
特産品紹介: しらす
紀伊水道に面した湯浅町は、しらすの水揚げ量が県内トップ。海から揚がったばかりのしらすを大釜でゆでたふわふわの釜揚げや、天日に干してうま味を凝縮させたちりめんを、ごはんにたっぷり乗せた「しらす丼」は町の名物。湯浅しょう油をかけていただきます。鮮度が命の生しらすも絶品! 港町だから味わえる極上ご当地グルメです。
特産品紹介: シロウオ漁(しろうおりょう)
広川の河口付近で行われる、江戸時代から続く伝統漁法。産卵のために川をさかのぼってきたシロウオを、四つ手網(よつであみ)と呼ばれる約2m四方の網ですくいます。2月中旬から3月中旬ごろに行われ、広川に春の訪れを告げる風物詩とも。踊り食いやかき揚げなどこの時期限定のシロウオ料理は地元の料理店で提供されます。