熊野古道紀伊路 ロングトレイルの歩き方 7日目 印南港~南部駅(総歩行距離:16.1km)
北から歩んできた紀伊路も最終盤。熊野九十九王子の中でも別格とされる切目王子を参詣し、切目中山王子から榎木峠を越えると、右手に海が広がります。有間皇子の結松を通り、岩代王子から千里王子までは梅畑の中を歩きます。「伊勢物語」や「枕草子」でもその美しさを讃えられた千里の浜は、今も往時の面影を残しており、きれいな砂浜を求めてアカウミガメも産卵にやってくるほど。気持ちのいい砂浜歩きを終え、南部峠を越えると日本一の梅林や南高梅の梅干の産地として知られるみなべの街なかへ。三鍋王子で最後のお参りをして本日の旅路は終了となります。
- 春
- 夏
- 秋
- 冬
- 所要時間
- 1日
- 移動手段
- 徒歩
印南港(いなみこう)
斑鳩王子(いかるがおうじ)
天仁二年(1109年)の『中右記』に「鵤(いかるが)王子」と記され、建仁元年(1201年)の藤原定家も「イカルガ王子」と記すなど、王子の古さを知ることが出来ます。江戸時代の『紀伊続風土記』では富王子(とみおうじ)の名で登場し、『紀伊国名所図会』では、このあたりの地名が光川と呼ぶのは「イカルガ」から転じたと記されています。明治41年(1908年)山口八幡神社に合祀されましたが、昭和25年に(1950年)に分祀され、現在に至ります。
切目王子神社(きりめおうじじんじゃ)
九十九王子の中でも高い格式を持つ五体王子の一つで、熊野参詣の中継遥拝所として天皇や上皇などは必ず参詣し、御所御殿は皇族の宿泊所でした。正治二年(1200年)に後鳥羽上皇が開いた歌会の記録、国宝「切目懐紙」の写しが巻物となって残されています。令和4年(2022)に「切目王子跡」が国史跡に指定されました。
※熊野古道紀伊路押印帳のスタンプポイント
中山王子神社・切目中山王子(なかやまおうじじんじゃ・きりめなかやまおうじ)
建仁元年(1201年)に藤原定家が「切部中山王子」付近の漁師の家で海水で身体を清める潮垢離を行い、王子に参ったことが記されています。現在の「切目中山王子」は榎木峠の中腹に位置しますが、旧社地は1kmほど東の中山谷周辺にあったともいわれます。境内社「足の宮」の祭神は、熊野詣の途上で足を痛めて命を落とした山伏にまつわる霊石があり、「足痛が治る」との信仰が広がり、草鞋(わらじ)や草履を持ってお参りする人も。
有間皇子の結松(ありまのみこのむすびまつ)
蘇我赤兄(そがのあかえ)の陰謀で、謀反の罪に問われた有間皇子。斉明天皇が滞在する牟婁の湯(白浜)に護送される途次に、この地で歌を詠み、松の枝を結んで、自らの平安無事を祈りました。松の枝を引き結ぶのは旅の安全を祈る古代の風習でしたが、19歳の若い命は無残にも藤白坂で散ることとなります。
岩代王子(いわしろおうじ)
風光明媚な海岸に面し、往時は浜づたいに千里王子まで歩いていたと伝わります(現在は浸食により通行不可)。天仁二年(1109年)の『中右記』には「石代王子」に奉幣し、建仁元年(1201年)に訪れた藤原定家も「磐代王子」と記すなど、古くからある王子だと考えられます。この王子の風習として拝殿の板を削って、一行の名前や参詣回数などを連署し、元の場所に打ち付ける様子が記録に残されています。明治41年(1908年)に西岩代八幡神社に合祀されましたが、合祀の関係者が病に苦しみ、御神体を戻したと伝わっています。
千里の浜(せんりのはま)
1.3kmの美しい砂浜が続き、『伊勢物語』や『枕草子』にも出てくる景勝地。熊野古道紀伊路で唯一海岸を通り、風光明媚な海景とともに古道歩きが楽しめます。全国有数のアカウミガメの産卵地としても知られ、毎年5月下旬から8月上旬にかけてたくさんの母ガメが産卵のために上陸します。
千里王子(せんりおうじ)
紀伊路にある王子の中でも特に美しい風景を望むことができる王子です。天仁二年(1109年)の『中右記』には昼食後に潮垢離をしたこと、室町時代には足利義満の側室・北野殿が浜辺で拾った貝を奉納し、「貝の王子」とも呼ばれました。貝は身が滅んでも、美しい貝殻を残すことから延命長寿への願いが込められています。今でも参拝者が並べた貝殻を見ることができます。明治時代に入り、千里王子神社となりましたが、明治42年(1909年)に須賀神社に合祀され、安政五年(1776年)に建立された本殿は残されました。令和4年(2022)に「千里王子跡」として国史跡に指定されました。
※熊野古道紀伊路押印帳のスタンプポイント
千里観音(せんりかんのん)
千里王子に隣接し、参道には三十三体の石造りの観音像が並びます。桓武天皇の時代に、千里王子の本地仏、如意輪観音を祀ったことがこの観音堂の始まりです。熊野信仰の説法に登場する小栗判官が、海で遭難しそうになったところを如意輪観音に助けられ、そのお礼に馬頭観音を奉納したことから厄除けの御利益もあります。
紀州梅干館(きしゅううめぼしかん)
日本一の梅の里にある、梅干しをテーマにした体験施設。館内で、梅の洗浄から漬け込み、パック詰めまでの製造工程をガラス越しに見学できます。直売店では、本場の南高梅を使った梅干しや関連食品はもちろん、梅をモチーフにしたグッズの販売も。梅干しや梅酢、梅ジュースの手作り体験教室も行われています。道中にありますので、ぜひ古道歩きの息抜きに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
三鍋王子(みなべおうじ)
名の由来は2kmほどの沖合いに浮かぶ鹿島の形が三つの鍋をひっくり返したように見えることから「みなべ」(三鍋、南部)になったと伝えられます。建仁元年(1201年)に藤原定家が「三鍋王子」に参った後、昼食を取り、御所へ向かうと後鳥羽上皇一行は既に次の芳養王子へ経っていたことが記されています。明治10年(1877年)に現在の鹿島神社に合祀され、王子の社殿は鹿島神社の本殿として移築されました。現在は小さな祠が建てられています。
南部駅(みなべえき)
本日のゴールです。なお、脚力に自信のある方は残り9.9kmの紀伊田辺駅まで足をのばすのも良いでしょう。
特産品紹介: 小玉すいか(こだますいか)
大正初期に切目村で始まったと伝わる、印南町のすいかづくり。現在は小玉すいかが栽培され、西日本で有数の生産地になっています。品種は「ひとりじめ7(セブン)」が中心で、旬は5月から7月まで。果皮が薄くて糖度が高く、大玉に近いシャリ感が特徴。地の寒暖差を生かし、冬でも出荷できる品種の栽培を行っている農家も。
特産品紹介: ミニトマト
印南町やみなべ町はミニトマトの栽培が盛んな地域です。糖度が高く味の良さでとりわけ人気があるのは「キャロルセブン」や「赤糖房(あかとんぼ)」、「優糖星(ゆうとうせい)」、「王糖姫(おとひめ)」など。露地なら夏場が旬ですが、ハウス産は秋から翌年の夏にかけて収穫は続きます。
特産品紹介: 南高梅(なんこううめ)
種が小さく皮が薄く、果肉がやわらかい梅の最高級ブランドとして名高い「南高梅」の発祥はみなべ町です。収穫高も和歌山は全国の約6割を占めますが、南部や田辺地域は特に生産が盛んで、梅干しだけでなく、梅酒や菓子、梅ジュース等さまざまなラインナップが取り揃えられています。2015年には梅栽培を中心とした伝統的な農業の仕組みが「みなべ・田辺の梅システム」として世界農業遺産に認定されました。