熊野古道大辺路 ロングトレイルの歩き方 1日目 紀伊田辺駅~紀伊富田駅(総歩行距離:14.8km)
田辺市北新町の道分け石から総延長120kmに渡る大辺路が始まります。まずはスタート地点からほど近くにある、世界遺産の鬪雞神社で大辺路の旅の無事を祈願しましょう。田辺の町中を縫い歩きながら、大潟神社、新庄峠を越え、櫟原神社に立ち寄った後は、欄干のない潜水橋として有名な山王橋を渡ります。富田川の堤防上の道を歩き、のどかな田園風景が広がる保呂の集落に入ると、間もなく奇怪な無数の穴が空いた保呂の虫喰岩に到着です。虫喰岩を見学後、平間神社、日神社へと進むと本日のゴールの紀伊富田駅はすぐそこです。 なお、紀伊富田駅周辺には宿泊施設が少ないため、富田橋バス停から椿温泉または白浜温泉に路線バスで移動、もしくは紀伊富田駅から電車で、紀伊田辺駅、朝来駅、白浜駅等に移動し一泊して翌日戻ってくる方法も検討してみてもいいでしょう。
- 春
- 夏
- 秋
- 冬
- 所要時間
- 1日
- 移動手段
- 徒歩
紀伊田辺駅(きいたなべえき)
鬪雞神社(とうけいじんじゃ)
創建は419年と伝わり、熊野三山の別宮的存在として熊野信仰の一翼を担っていました。社名は武蔵坊弁慶の父といわれる熊野別当・湛増(たんぞう)が、壇ノ浦合戦の勝敗を占うために鶏合せをしたという故事に由来します。世界遺産にも登録されており、境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像があります。社務所には源義経が奉納したといわれている笛や、弁慶産湯の釜等の宝物が展示されています。
※熊野古道大辺路押印帳のスタンプポイント
大潟神社(おおがたじんじゃ)
もとは若一王子社と呼ばれ、大辺路に面した山麓に鎮座していましたが、1941年に現在の場所で神殿を造営して奉遷されました。520年頃の創建と伝わりますが、詳細は不明です。明治維新の神仏分離の動きの中で、1868年に大潟神社と改称されました。
新庄峠(しんじょうとうげ)
大潟神社の南2kmの場所に位置し、新庄と朝来の境界であり朝来峠とも呼ばれています。また、峠に鎮座していた高地蔵は現在、麓の祠に祀られています。近くには民家があり比較的平坦な山道ですが、掘割(地面を掘ってつくった水路)が残り、一歩足を踏み入れると古道らしい雰囲気が漂っています。
櫟原神社(いちはらじんじゃ)
朝来駅近くの町中にあり、旧諏訪神社、梅田神社、厳島神社、岩崎神社の4社を合祀した神社です。主祭神として建美名方命(たけみなかたのみこと)他8神が祀られています。
山王橋(さんのうばし)
南紀熊野ジパークのジオサイトのひとつ。富田川に二つ架かっている潜水橋のうちの一つです。生馬橋と郵便橋の中ほどに位置し、この橋の南岸にあたる地域の名が山王であることから山王橋と呼ばれています。潜水橋には川が荒れても流されない様に手すりがありません。古き良き情景を感じる景観が広がっています。
保呂の虫喰岩(ほろのむしくいいわ)
南紀熊野ジパークのジオサイトのひとつ。田辺層群上部層の厚い砂岩と礫岩の地層からなり、礫岩の部分がタフォニと呼ばれる蜂の巣状に風化が進み、まるで虫に喰われたように見える珍しい岩壁です。虫喰岩の横には、大日如来をお祀りしたお堂があり、病気の回復や農耕で使う牛の健康や安全を祈ったといわれています。
平間神社(ひらまじんじゃ)
桃山時代の1593年に現在地に鎮座されました。天佐具女命(あめのさぐめ)を祭神として、摂社には家内安全の守護神である大宮能売神(おおみやのめのかみ)と商売繁盛の恵比須神を併せて祀られています。また、境内の目の前の富田川は大鰻生息地としても知られています。
日神社(にちじんじゃ)
古くは紀伊続風土記にも記載され、社殿は荘厳美麗を極め、紀州日光と呼ばれたといわれています。主祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、境内社として厳嶋神社、若宮神社、稲荷神社、天満神社、住吉神社、水神社、塞神社が鎮座しています。
紀伊富田駅(きいとんだえき)
本日のゴールです。なお、紀伊富田駅周辺には宿泊施設が少ないため、富田橋バス停から椿温泉または白浜温泉に路線バスで移動、もしくは紀伊富田駅から電車で、紀伊田辺駅、朝来駅、白浜駅等に移動し一泊して翌日戻ってくる方法も検討してみてもいいでしょう。