熊野古道大辺路 ロングトレイルの歩き方 7日目 紀伊田原駅~紀伊天満駅(総歩行距離:18.6km)
大辺路の中でも古を体感できる峠を次々と登る一日です。田原の町中を抜けると貴重な水草が生育する田原湿地の中を通り、清水峠へ。緩やかな峠を越えると次は浦神峠が待ち構えます。峠で一息ついて、下りた先には古刹の大泰寺、そこから市屋峠、二河峠と連続で越えていきます。ゆかし潟のそばを歩きながら、大きな切り通しのある駿田峠を通り抜け、本日のゴールである紀伊天満駅へ。駅から徒歩圏内に勝浦温泉街がありますので、長旅の疲れを温泉で癒しましょう。また、勝浦港は生まぐろの水揚げ量が日本一の漁港ですので、漁港から直送される新鮮なまぐろ料理もぜひこの機会にご堪能ください。
- 春
- 夏
- 秋
- 冬
- 所要時間
- 1日
- 移動手段
- 徒歩
紀伊田原駅(きいたはらえき)
田原湿地(たはらしっち)
紀伊田原駅から北に1kmの位置にあり、かつての水田と池にはミズネコノオ、ヤナギスブタ、テツホシダなどの希少な植物が多く生育していました。「日本の重要湿地500」に選定されています。
清水峠(しみずとうげ)
串本町の田原湿地付近と那智勝浦町の浦神集落の間は緩やかな道が続いており、標高60mの地点に峠があります。峠付近は道幅が2mあり、5m前後の掘割と石段が100mほど残っています。道が良好な状態で保存されていることから世界遺産にも登録されています。峠は口熊野と奥熊野の境にあり、西入口の登り口近くには「口熊野奥熊野境界址」が立っています。
※熊野古道大辺路押印帳のスタンプポイント
浦神峠(うらがみとうげ)
漁村の風景が広がる浦神集落と田畑が広がる里山の風景が残る庄(しょう)集落を結ぶ標高140mの峠です。峠付近は平坦なことから、休平(やすみだいら)とも呼ばれています。浦神側の登り口付近には備長炭の炭焼き窯があり、運が良いと作業風景を見られることも。
大泰寺(だいたいじ)
比叡山の開祖、伝教大師最澄によって開かれた開創1200年の薬師霊場です。平安時代から鎌倉時代にかけての貴重な仏像を所有するとともに、江戸時代からは禅宗に改宗しているため座禅の体験もできる寺院です。また宿坊として宿泊することができるだけでなく、キャンプもできるという珍しいお寺です。
市屋峠(いちやとうげ)
那智勝浦町市屋集落と与根河池を結ぶ標高80mの小さな峠。切り通しの峠には小さな石造の地蔵が祀られています。また、市屋という地名は平惟盛がこの地で一夜を過ごしたことからつけられたという言い伝えも残っています。
与根河池(よねごいけ)
干害に悩まされていた市屋集落の庄屋と村民たちが3年をかけて築造したため池です。1711年に完成しましたが、そこからさらに集落への水路を10年かけて作り上げました。300年以上経った現在でも周辺の田畑を潤しています。
二河峠(にこうとうげ)
与根河池のほとりから左畑(さばた)集落を結ぶ標高85mの峠で、峠の北側は蛇行した谷川が流れ、水田跡が残ります。『紀伊続風土記』には、二つの川がこの地で合流することから二河と名づけられたとも。峠道は世界遺産に登録されています。
※熊野古道大辺路押印帳のスタンプポイント
ゆかし潟(ゆかしがた)
上空から見るとハート型に取り残された湖として知られ、縄文時代に3つの川(湯川、橋ノ川、二河川)が流れ込む入り江でした。やがて、二河川河口に土砂がたまり、海から閉ざされた湖(潟湖)となり、現在に至ります。なお、ゆかし潟の名は新宮市出身の詩人、佐藤春夫が命名しました。
駿田峠(するだとうげ)
那智勝浦町湯川集落と天満集落を結ぶ標高80mの峠で、大きな切り通しが見所。峠道は世界遺産に登録されています。その横には平安時代に熊野詣をしていた歌子姫がここで亡くなり、地蔵菩薩を祀った加寿(かす)地蔵があります。「かす」の名は歌子姫が酒粕を好んだことにちなんだ由来とされますが、現在では「より長い命」を意味する漢字「加寿」で表されており、腰や足の痛み、不妊に悩む人が加護をもとめて参拝に訪れます。
※熊野古道大辺路押印帳のスタンプポイント
紀伊天満駅(きいてんまえき)
本日のゴールです。周辺の勝浦温泉街は、大小さまざまなホテルや旅館が立ち並ぶ和歌山を代表する温泉地です。紀州徳川家15代当主である徳川頼倫が訪れ、「帰るのを忘れるほどである」と賞賛した忘帰洞をはじめ、魅力的な温泉が数多くあります。また、勝浦漁港は全国有数のマグロ漁の基地であり、美味しい生マグロが味わえますのでぜひ温泉と一緒にお楽しみください。