熊野古道大辺路 ロングトレイルの歩き方 8日目 紀伊天満駅~那智の滝(総歩行距離:8.6km)
いよいよ長かった大辺路の旅路もこの日で終わりを迎えます。早起きをすると、勝浦市場で臨場感ある生マグロの競りを体験することができるので旅の前にふらっと立ち寄るのもお勧めです。紀伊天満駅を出発してほどなくすると美しい砂浜が目の前に現れますが、ここが補陀落渡海(ふだらくとかい)の地である那智の浜です。那智駅の横を通り、世界遺産である補陀洛山寺で大辺路の旅は終わりを告げますが、せっかくなので古の巡礼者が目指した那智山へそのまま向かいましょう。大辺路から中辺路となった道を歩いてうっそうとした森の中にある大門坂へ。坂を登った先には、朱色に輝く熊野那智大社が現れます。大辺路を踏破できたことをお祈りし、隣の青岸渡寺を参り、最後は那智の滝へと向かいこの旅を締めくくりましょう。
- 春
- 夏
- 秋
- 冬
- 所要時間
- 1日
- 移動手段
- 徒歩
紀伊天満駅(きいてんまえき)
那智の浜(なちのはま)
白い砂と遠浅の全長800mの砂浜で、夏には多くの海水浴客でにぎわいます。『快水浴場百選』で「特選」に選ばれた浜で正式名称はブルービーチ那智。平安時代から江戸時代にかけて、南の海の彼方にあるといわれる観音浄土である補陀落山を目指して小舟で旅立つ「補陀落渡海」が行われた地です。補陀洛山寺の境内には、僧が乗り込んだとされる小舟「渡海船(とかいせん)」を復元したものが展示されています。
浜の宮王子(はまのみやおうじ)
神仏習合(しんぶつしゅうごう)の名残をみせる熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)の一つ、海のそばにあった王子社で、もとは隣接する補陀洛山寺の一部でした。周りの木立は渚の森と呼ばれ、現在の境内にはこの森の一部が残されています。 19世紀後期に浜の宮王子は補陀洛山寺から分離され、熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)と号されました。
補陀洛山寺(ふだらくさんじ)
天台宗の寺院であり、平安時代から江戸時代にかけて、ここから僧侶が遥か彼方の観音浄土である補陀落山を目指して、小舟で南の海に出航する補陀落渡海が行われた地です。補陀落渡海は9世紀から18世紀の間に約20回行われたと言われています。境内には、補陀落渡海を行った僧侶の墓碑があります。
大門坂(だいもんざか)
熊野三山の一つである熊野那智大社、那智山青岸渡寺の参道です。約640m、267段の苔むした石段が敷き詰められており、樹齢800年を越す夫婦杉やクスノキ等に囲まれた、熊野古道を代表する面影が残る場所です。かつて熊野那智大社の大門があったことが、由来とされています。
熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
那智山の中腹に鎮座する那智大滝を御神体とする熊野三山の一つであり、主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)です。境内には樹齢約850年のクスノキの御神木があり、空洞化した幹の中に入る胎内(たいない)くぐりをすることができます。
那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)
かつては神仏習合の修験道場として隣接する熊野那智大社と一体化していましたが、明治時代に入り、神仏分離令の影響から、独立して天台宗の寺院となりました。西国三十三所(さいこくさんじゅうさんしょ)の巡礼路の第一番札所になっていることでも有名なお寺です。
那智大滝(なちのおおたき)
那智大滝は高さ133m、幅13mと一段の滝としては日本一の落差を誇ります。熊野那智大社の御神体として古くから崇拝され、滝壺のそばには飛瀧神社(ひろうじんじゃ)があります。また、滝を含む周辺一帯は那智原始林として守られ、那智四十八滝(なちしじゅうはちたき)と呼ばれる大小の滝からなる修験道の行場が上流にあります。